思春期と複雑な時代をめぐる硬質なてんこ盛り映画『牯嶺街(クーリンチェ)少年殺人事件』【管理人のグダグダ映画感想文】

牯嶺街(クーリンチェ)少年殺人事件

牯嶺街(クーリンチェ)少年殺人事件

『牯嶺街(クーリンチェ)少年殺人事件』の撮影場面。サングラスの人物がエドワード・ヤン監督

『牯嶺街(クーリンチェ)少年殺人事件』(1991年、台湾)
監督:エドワード・ヤン
出演:チャン・チェン、リサ・ヤン、チャン・クォチュー、エイレン・チン、ワン・チーザン、他

1960年代初頭の台北。建国高校昼間部の受験に失敗して夜間部に通う小四(シャオスー)は不良グループ〝小公園“に属する王茂(ワンマオ)や飛機(フェイジー)らといつもつるんでいた。 小四はある日、怪我をした小明(シャオミン)という少女と保健室で知り合う。彼女は小公園のボス、ハニーの女で、ハニーは対立するグループ〝217”のボスと、小明を奪いあい、相手を殺して姿を消していた。ハニーの不在で統制力を失った小公園は、今では中山堂を管理する父親の権力を笠に着た滑頭(ホアトウ)が幅を利かせている。
小明への淡い恋心を抱く小四だったが、ハニーが突然戻ってきたことをきっかけにグループ同士の対立は激しさを増し、小四たちを巻き込んでいく。。。
公式サイトより)

もともとエドワード・ヤン監督の作品を数本見て、社会を切り取るその独特な視点に面白さを感じていたので、今回のリバイバル上映は楽しみだった。twitterなどでも思った以上に盛り上がっていたので期待しながら映画館に足を運んだ。ただ、4時間近い上映時間なので少し尻込みしつつ(ちなみに公開当時は188分だったようだ)。

実際には長さはそれほど苦にはならない。どちらかというと静かに淡々と時間は過ぎていく。一歩離れたところから淡々と描くのはエドワード・ヤンらしいとも言える。ただ、一つ言えるのはやはりてんこ盛りなのである。それが4時間の要因かはわからないが見るべき観点がたくさんある。

どうてんこ盛りなのかと言えば、この映画は基本的には青春映画に分類されるだろうが、家族映画や恋愛映画でもある。でももう少し言えば不良・任侠映画でもあり、社会派の政治映画とも言えるし、小津や黒澤のような日本映画的な要素やヨーロッパ映画に通じるようなカメラワークも見て取れる。また、時代背景については後で触れるが、そこには中国大陸、日本、アメリカの影響が社会に混在する。

牯嶺街少年殺人事件

『牯嶺街(クーリンチェ)少年殺人事件』の一場面。中央がシャオスー役のチャン・チェン

そのてんこ盛りの中、多感な時期の無口な少年を見つめ続けるという部分は一貫している。

舞台は1960年の台湾。主人公の「小四(シャオスー)」は14歳の中学二年生。学校をサボって隣の映画スタジオに忍び込んだり、不良グループとつるんだりしている。

1960年の台湾の状況については作品冒頭でも少し触れられるが、内戦に敗れた国民党勢力が台湾に拠点を移して独裁体制を敷いていた時代。劇中でもしばしば戦車が出てくるが、こういう時代背景も関係あるだろう。そして、シャオスーの家庭も大陸から移動してきた一家で、父親は公務員、母親は元教師という典型的な知識階級だ。映画では直接は描かれない部分も多いが、独裁時代では共産党勢力との戦争再燃や本省人の反国民党感情という懸念を常に孕んでおり、そうしたピリピリした時代の影響をシャオスーのような少年たちも間接的にも直接的にも受けることになる。

少年たちは、社会の雰囲気や周囲の大人たちに影響を受けつつも、暴力や抗争、大人を欺くことに精を出す。映画の主題になっているのはこの部分であり、特にシャオスーの無口がゆえの心理の読みづらさや突飛とも言える行動に我々は翻弄される。その叫びは誰を救うための叫びだったのか。個人的には『台風クラブ』を思い出し、共通するヒリヒリ感を感じたが、それよりも切なく悲しいものも感じずにはいられない。

今回もグダグダしたところで終えようと思うが、このてんこ盛り具合は現代各国映画の面白い部分を詰め込んだような、それでいて一貫したエドワード・ヤンイズムを感じさせる硬質で充実した映画であることは間違いなく、マーティン・スコセッシのフィルム修復事業がこの作品を蘇らせたところにも感服させられた。

『牯嶺街(クーリンチェ)少年殺人事件』予告編

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