Pedro Almodóvar
1951年、スペイン中南部のカルサーダ・デ・カラトラーバ出身の映画監督。
1968年にマドリードに移り、電話会社で働きながら8ミリ映画を自主制作し、マドリードやバルセロナで上映し、人気を博した。電話会社で働くことで、都会の中流階級について具体的な情報に触れたという。
1980年に、『ペピ、ルシ、ボン、その他の娘たち』(日本未公開)を初めて16ミリで制作し、成功をおさめた。
その後、7本目の長編映画『神経衰弱ぎりぎりの女たち』(1987)では、スペイン国内ではゴヤ賞の作品賞、脚本賞などを受賞しただけでなく、ヴェネチア国際映画祭脚本賞などの国際映画祭で数々の賞に輝いたほか、アカデミー賞とゴールデン・グローブ賞の外国語映画賞にもノミネートされ、国際的な評価を得るに至った。
さらに、『アタメ』(1990)、『ハイヒール』(1991)、『キカ』(1993)等の作品でも成功をおさめ、1999年の『オール・アバウト・マイ・マザー』ではカンヌ国際映画祭監督賞、アカデミー賞外国語映画賞、ゴールデン・グローブ賞外国語映画賞など数多くの映画賞を受賞し、続く『トーク・トゥ・ハー』(2002)でもアカデミー賞脚本賞、ゴールデン・グローブ賞外国語映画賞などを獲得し、世界を代表する映画監督の一人となった。
独特のユーモアや、エネルギッシュでカラフルな作風が特徴。女性や同性愛者の登場人物を力強く描いた作品も多く、2006年の『ボルベール<帰郷>』では、カンヌ国際映画祭で脚本賞と共に主演女優6名全員に対して女優賞が贈られた。
フィルモグラフィー
作品名 | 担当 | 製作年 |
---|---|---|
ペピ、ルシ、ボン、その他の娘たち | 監督 脚本 |
1980 |
セクシリア | 監督 脚本 製作 |
1982 |
バチ当たり修道院の最期 | 監督 脚本 |
1983 |
グロリアの憂鬱 | 監督 脚本 |
1984 |
マタドール<闘牛士> 炎のレクイエム | 監督 脚本 |
1986 |
欲望の法則 | 監督 脚本 |
1987 |
神経衰弱ぎりぎりの女たち | 監督 脚本 製作 |
1988 |
アタメ | 監督 脚本 |
1990 |
ハイヒール | 監督 脚本 |
1991 |
キカ | 監督 脚本 |
1993 |
私の秘密の花 | 監督 脚本 |
1995 |
ライブ・フレッシュ | 監督 脚本 |
1997 |
オール・アバウト・マイ・マザー | 監督 脚本 |
1999 |
トーク・トゥ・ハー | 監督 脚本 |
2002 |
バッド・エデュケーション | 監督 脚本 製作 |
2004 |
ボルベール<帰郷> | 監督 脚本 |
2006 |
抱擁のかけら | 監督 脚本 |
2009 |
私が、生きる肌 | 監督 脚本 |
2011 |
アイム・ソー・エキサイテッド! | 監督 脚本 |
2013 |
ジュリエッタ | 監督 脚本 |
2016 |